2011年6月29日水曜日

今富秀樹 Trippin’ Grass Reunion

6月26日(日)


仲のよい 今富秀樹さんが 関西から バンドを引き連れて関東遠征、茅ヶ崎Botchy Botchyにも来るというので、 聞きに行った。


さすが昔からの名人ぞろい、楽しませてもらった。

今富さんの歌を聞いて、Stanley ものをあまりやらない私も、いいな!と思った次第。



家に帰ってから、以前今富さんにもらった、 Lost City Cats が '73 に録音した CDを聞いたが、あのころの 関西の Bluegrass って特徴あると思う。

尾崎ブラザースの入っている East Mountain Boys と一脈通じていて、関東にはない音に聞こえる。 あきらかに 関西のほうが進んでいた(る?)。


Botchy Botchy には 原さとし君が聞きに来ていた、懐かしそうに、”学生時代この人たち憧れだったんですよ!” と言っていた。


先日紹介した 原君の参加している、 Lonsome Strings with Mari Nakamura の ”Folklore Session" は 先日床屋でかかっていた FMでもやっていたし、25日 朝 のNHK FM ピーター・バラカン のWeek End Sunshine でも詳しく紹介されていて、ずいぶん聞かれるようになった、と言ったら、、、原君 ピーターさんが何回も取り上げてくれるのに 感謝していた、、、

高速道路無料化社会実験 が終わって

6月26日(日)


6月19日(日)深夜 高速道路無料化社会実験が終わったが、止めようとする動機は、一銭でも多く 被災地の復興の資金に回そうとしようということだろうが、私の目が悪いのか、


1. どのようにして資金を復興財源に当てるのか?

2. いったい高速道路無料化社会実験で何がわかったのか?

3. 無料化実験で盛り上がった地方の観光地の客足が終了とともに鈍化したというが、経済の活性化との天秤は?

等等疑問が多い。


3. については 所謂高速道路 の交通量が元に戻った(実験中の半減)という報告はされているようだが、ここ茅ヶ崎では、有料道路の新湘南バイパスの 無料化が終わったとたん 国道一号線が大渋滞、かなり経済に悪影響を与えていると思われるが、他の地域ではどんなものだろうか?

2011年6月27日月曜日

高校卒業50周年記念同期会

6月25日(


ブログを丸一週間も書いていなかった、先週は暑い日が続き、ボーっとしたまま、、、


この日も茅ヶ崎は朝からピーカン、でも天気予報で昼から曇るというのを頼りに、出かける、 高校卒業50周年記念同期会 が鳥居坂の国際文化会館であるので、新橋→ 大門 → 麻布十番 経由で、 駅を出てすぐ 鳥居坂を昇れば 直ぐだが、時間があったので、一寸回り道をして、逆側から 東洋英和の前 を通り、会場へ、、、

それにしても東京オリンピックを境にこのあたりは変わった、、、、

50年前の麻布十番は場末の雰囲気でした、、、、


久しぶりに会うので、なんて爺の多い会だと思ったが、変なもので5分もすると、目は慣れるもの、、、直ぐに50年前に戻った、、、、

今でもあっている友人たちとは やあ!ぐらいで、久しぶりに会う友人と主に話す。

それにしても医者・学者の多い学年だと思う。


今でも音楽を本格的にやっている、早山君、渡辺君とは、先日書いた 山下洋輔(1年先輩)の中学時代の 文化祭での演奏の話、ライブに行くよと、お互いに軽い約束、ミュージシャンは軽いのです。


先生の来賓は 今回は テンパ こと 佐々木先生お一人、数年前には4-5人いらしたが、さすがに 若かった先生でも 90近くになられていると思うので、しょうがないか、、、


世界的原子核物理学者で紫綬褒章を得た 堀内 昶 とは中学時代雨が降ると校舎の階段室で 相撲をとった話、せっかくだからもっとまじめな研究の話でもすればよかったんですが、、、ノーベル賞でもとってくれたら嬉しいけど、、、

日本橋出身の彼も今は長く奈良に住んでいるらしい、、


よく遊んでいた、竹内君、安斉君から、広瀬益郎君が6月7日に亡くなったと聞いて、愕然、、、鳥居坂をマラソンでいつもトップで走っていたのは彼とコダンボこと深谷君でした。


深谷君は奥さんの介護で家を空けられず不参加、、、、、


この会の発起人の一人の 天坊君は 以前から視野が狭くなる病気だったが、今は全く見なくなって、奥さんの補助つきで、元気に参加、、、、


昼間なので、ウーロン茶を飲んでいた私を見つけて、”そんな体にいいものばかり飲んでいたら、体に悪い”とか訳のわからぬことを言って、結局ワインを飲ませた亀山君、名司会の 椿原君、いつも秘書を動員して会を主催してくれる、柏谷君に乾杯。


終わって、麻布十番まで行く間に、亀倉君と話しながら帰ったが、王子製紙で私の従兄弟とハワイアンをご一緒したことのある樋口さんをよく知っているという話で、盛り上がる、、、


帰りも含めて、久しぶりに、楽しい一日でした、、、、、

2011年6月17日金曜日

気になって仕方がない名前


6月17日(金)

以前から、商品名などが気になって仕方がない、 変な日本語が多い。

そのことに気がついたのはもう20年以上も前、高度成長も終わり、自然食品に人の関心が向いたころだろうか?


自然豚:

日本橋高島屋のデパ地下で ”自然豚”の表示を見たのが初めてだろう。

思わず、人工豚 があるのか? と思って 口に出して家内に袖を引っ張られた。

地鶏と同じように平飼いにしていて、人工資料を与えないということだろうが、センスのないネーミングだと思った。

英語では平飼いを意味する、Free Range だと思うけど、”平飼い”でいいんじゃないかと思うけど、、、、

自然食品屋はいまでも 無神経なネーミングが多いと思う。 沢山あるけど今回はこれだけ、、、、、


ただの炭酸水:

ブログに書く気になったのは、生協で 炭酸水を買ってきたのがきっかけ、、、

”ただの炭酸水” っておかしいんじゃない?

小学校低学年の孫に これ見せたら、”ただでもらえるの?”

そう思っても無理ないですよね、、、何も入っていないという意味でつけるのだったら”純炭酸水” のほうがまだよいと思うけど、それも必要ない、、、人に気を引くためのネーミングか、、、


こだわりのxxxxx:

最近はもう NHKのアナウンサーまで使うんだから、市民権を得ているのかもしれないが、私が嫌いな言葉の筆頭!

特に 食べ物で ”こだらわりのxxxx” と表に書いてあったら、絶対に入らないし、間違って入って食べても 美味しかった例がない。


表に書いてなくても、店の中にこの手の言葉が沢山張ってある店は、まず注文しないで出ることにしている。


モカマタリ:

写真の右のコーヒー、モカの高級なマタリのこと。

これは ネーミングが悪いのではなく、私の意識の問題。

どうも ブラタモリ を想像して、タモリの顔が ”ヌーッ” と浮かんでくるのです。

でも”モカ・マタリ” と書いて欲しいですね。

2011年6月14日火曜日

懐中電灯用LEDの製作

6月14日(火)


家内がお茶の稽古を我が家でやるので、邪魔しないように自室に篭って、昨日買ってきた LED電球を スリーブに 半田付けして固定する作業を始めたが、ここのところ何年もそんなことをやっていないので、まず導通ひとつ調べるにもテスターを取り出したら、壊れていて使い物にならず、細かい半田付けをするための バイスもない始末、、、、

だが、暇なので今日はこれをしようと決めていたので、近くの UNI Hardware へ買いに行く、一寸よいラジオペンチ も買ったら \6000 にもなった。

出来上がったたのはこのようなもの


割合 見栄えは良く出来ているけど、たかだか 買えば数百円のものを半田付けするのに 六千円も払うなんて、どうかしていますね。


もう一種類、3-LEDにトライしたが、なぜか上手く行かない、回路は合っているんだが、

どうも壊れた 自転車のヘッドランプから取り出したので、最初から不具合であった可能性があると考え、今日はそこまででおしまい。


作ったLED ランプであるが、照度も 以前の豆球のほうが明るいので、低電圧型LED豆球を さらに3個追加注文、このプロジェクトはここまでと切り上げとした。


秋葉原・神田・銀座

6月13日(月)


朝は土砂降り、昼から 秋葉原、神田、銀座へ、、、

前に書いた ”懐中電灯の白熱球をLEDに代える プロジェクト のLED 豆球の良いものがないかと、電気街の部品屋さんを2時間ほどぶらついたが、結局 低電圧で動かせるものは、すぐに懐中電灯で動かせるものは見つからない。

仕方ないので、 下記のようなむき出しの 低電圧駆動型のLEDを2個購入

1個\120

それにしても秋葉原の部品屋は変わった、ラジオデパートなどは まるでシャッター商店街のよう、物を探すにも Internet のほうが見つかるんだからしょうがないか、、、

それでも真空管やシャーシのようなもので特殊なものは、ここに来ないと見つからないことは変わりがない。

夕方になったので 淡路町の ”まつや”で蕎麦を食う。

ここは店も狭く皆相席なので、目の前の40ぐらいのサラリーマンが、味噌で一杯、湯葉で一杯、と銚子を上げるのを、横目で見ながら 天もりですます。

丸の内線で銀座へ出て、”はいばら”でぽち袋を買う、みな”いせ辰”製だから谷中へ行って買ったほうが良いけど、この時間の銀座は お姉さんたちの 出勤時間で楽しい。

今日銀座へ来た目的の 銀座Nashville へ、、


Band は ディッキー北農&ブルーグラスバンド  メンバーは

ディッキー 北農 ボーカル、ギター
     原 さとし バンジョー、ボーカル
     阪野克之  フィドル
     小島慎司  ドブロ
     竹内信次  マンドリン
     三上 保  ウッドベース

名人ぞろい、、、案の定すごい演奏、お客も月曜日にもかかわらず満杯で大盛り上がり、、、到着したときはもう7割がた満席で、浦安の先生方と一緒になり、楽しいライブを聞かせてもらいました。

遠いので、第三ステージの最後まで聞かずに帰途へ、、、

それでも家に着いたのはやっと12時前、、、、、、

2011年6月11日土曜日

Folklore Session

611日 ():

6月9日(木)に こんとん館 ライブをやり この日は叔母の通夜なのに駆けつけられず、翌日の告別式が早いので、茅ヶ崎に帰らず、大宮に泊った。

葬儀を終わって 家に帰ったら 4時、、、、 さすがに疲れた。

ライブ に戻るが、その中で Banjo の原君が 61日に 新しい Lonesome Strings with Mari Nakamura の CD "Folklore Session" が出て とても評判がよい と言っていたので、 Amazon で調べたら すぐに買えた。 10日夕方に頼んで 11日の 昼前にはもう着く、、、、さすがに速い。

肝心の CDだが これがとてもよい、、、、私の好きな音楽のど真ん中という感じ、、、、

今までは Lonesome Strings は上手いけど、焦点がどこにあるかわからなかったが、このCDでは American Traditional を中心にした、アメリカ音楽の Heart というようなものを感じる。

中村まり って上手いですね、声の質も 一寸日本人とは思えない声で、こういう音楽にはぴったり。

原君も Allman Brothers Midnight Rider を歌っているが、これもまたいい、、、

興味のある方は ぜひ買ってください。

2011年6月8日水曜日

省エネ プロジェクト II

6月8日(水)


実際に 消費電力を測って 省エネ(省電力)の方針を決めようとする試み、測りにくいものはメーカーのカタログの数値(定格)の9割を使いました。

まあ夏場のその場しのぎのようなものも多いけど、気をつけることで年間の省エネにも役立っていると思う。


2011年6月6日月曜日

省エネ プロジェクト

6月6日(月)


今日は 東日本大震災 に端を発する、電力不足に少しでも協力しようと、我が家でも行っている 節電省エネ プロジェクト をご紹介します。 他のページに書いたものなので、リンクします。


我が家の省エネ顛末 

我が家の省エネ顛末、その II (6月8日) 真夏のピーク時の節電、および年間の節電

懐中電灯の白熱球をLEDに代える 計画停電中に電池がなくて困った方はいらっしゃいませんか?

下線部をクリックしてください。


午後2時半

従兄妹から電話があり、叔母が亡くなったとのこと、一月ほど前に 脳梗塞で倒れ、10日ほど前に見舞いに行ったときは、回復してくれるのではないかと希望を持っていたが、2-3日ほど前から急に悪くなったとのこと。


子どものときから可愛がってもらっていたので、また一人近い人が減り、寂しい、、、

ここのところ やたらに訃報が多く、もうそういう歳なのだなと強く感じる。

2011年6月5日日曜日

お悔やみの多い日、 写楽展


61日 (水):

後先は 逆になるが、61日はいろいろなことがあった。

我が家と家族ぐるみでお付き合いのあった、あすか製薬前社長の 山口栄一さんが亡くなって お別れの会が ホテル・オークラであり、家内と出かけた。

久しぶりに 会社主催の 男ばかりの会に出て、ご挨拶もそこそこに、久兵衛の寿司をいただいて 失礼した。

時間が十分にあったので、かねてから見たかった 「写楽展」 を見に上野の国立博物館へ、、、



140 点 あまりの作品を 4 点を除いてすべて 展示するというので、出かけたが、 展示の仕方も、単に年代別に並べるだけではなく、 その時代の役者絵 の第一人者 豊国 や歌麿 などと比べて あったり、刷りの違い なども比べてあり、非常に興味深かった。

普段は展覧会では家内が時間を掛けてゆっくり見て、私は早く見終って椅子に腰掛けていることが多いが、この日は逆、、、、

アダチ版画研究所の安達以乍牟さんから 話を良くうかがうので、改めて写楽は誰なんだろう と考えてしまう。 私は 阿波藩おかかえ能役者 斎藤十郎兵衛 で決まり と思っているが、もう一度考えても面白いかもしれない。 でも そんなことは あの世の写楽には ”しゃらくさい”(写楽斎) ことかもしれない。



夕方 会社の同窓会 ”藤鴨会” 暖かくなったので、参加者も多く、賑やかなこと、、、、

このときは 皆知らなかったが、訃報が 二つも入っていた。


一人は ”藤鴨会”にも何回も参加していた 加藤美治さん、武蔵大学の教授として張り切っていたのに、発病してから 本当に短い間だったらしい。

もう一人は 尾崎ブラザース と並んで 日本のブルーグラスの 草分けの一人 井上高 さん、416日に軽井沢フェスティバル でお会いしたときにはお元気そうだったのに、、、

お二人の ご冥福をお祈りいたします。

先生のあだ名

64日(土):日経新聞 「私の履歴書」より

6月の 日経新聞 の 「私の履歴書」 は ジャズ・ピアニストの山下洋輔。

彼は私の 中学・高校の1年先輩で、同窓の我々としては、気になる先輩の一人であったが、改めて読んでみると、彼の中学高校の話は、当たり前だが自分に重なる部分が多い。 特に今日の文章は先生方の あだ名 について記していて、記憶に鮮明な名前ばかりで、懐かしく読んだ。

どこの学校も同じであろうが、先生のあだ名は先輩からずーっと受け継がれていて、

私もその由来を10歳年上の従兄から詳しく説明された。

サルマタ と オチン の関係など男子校ならではのものであるが、ユニークな先生が多かったので、あだ名もまた変わったものが多かった。

中学時代の話は確か、やはり先輩になる 北杜夫 の「ドクトルマンボウ航海記」にも面白おかしく書いてある。

今日妹から この日経新聞の 記事のことをメールで知らせてきたが、友人たちと我が家でそんな話をしているのを聞いて覚えていたらしい。

今月26日に たまたま同期会で皆に会うが、この話が話題になることは間違いない。

2011年6月3日金曜日

代沢小学校運動会

5月31日(火):代沢小学校運動会


娘のところの孫二人が通う世田谷区立代沢小学校の運動会に行ってきた。

校庭に入って狭いのには驚かなかったが、役員席のテントに書いてある 創立130年記念という文字には一寸びっくりした。

孫たちはお爺ちゃん、お父さんと3代この学校の生徒で東京の山の手では珍しい野ではないかと思ったが、計算上は5代同じ小学校という人が居ても不思議ではない。

代沢小学校は1880年(明治13年) 荏原小学校代沢分教場 として 開校したらしい。

ちなみに代沢とは 代田と下北沢の合成地名で、1964年の住居表示の際に地名となったので 小学校の名前のほうが古い。

私の子どものころは 孫の家のあたりは北沢だったような記憶がある。


このあたりは近くに下北沢があり、商店街、ライブハウスなどがあるので、父兄の職業は雑多だが、一学年一クラスの学年が多く生徒数は極めて少ない。

先生の目が行き届くのか、皆のんびりしていて、新興住宅地の小学校のような感じはない。 

生徒数が少ないので午後早くに終わったが、一寸寒かったが 一日天気もよく、梅雨の間にしては 運動会日和だったと思う。

でもどうして 秋ではなく この時期にするんですかね?